2013年10月23日

愛着がわく

気に入ったモノに愛着がわく。
出あって、知って、気に入って、買って、着て、洗って、体に馴染んだTシャツ、ジーンズ、ジャケット、ブーツなど、クタクタになっても捨てたくない。
誰がなんと言おうが、使っている私の満足度は高い。
利用品質が高いということになる。
こういうモノを使い続けると愛着がわく、ことがある。

ところが、利用品質が高くても、愛着がわかないこともある。
こういうモノに、ノベルティのグラスがある。
全体の印象、重さ、角度、容量、口当たり・・どれも良くて、利用品質が高い、なのに愛着はない。
このグラスは初めは2個セットだったが、1個を割ってしまった。
割ってしまったとき、「マイッタ!」とは思わなかったから、たしかに愛着はないのだと思う。
なぜか?
それは、グラスの角度や容量について私は話せるが、グラスのストーリーを語ることができない、ということだと思う。
グラスとともにした経験について「語れるコト」がないから、なのだろうと思う。

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「語れるコト」を考えると、個人的なクセのようなものも絡んでくる。
私は「長い鼻ヅラ」に惹かれるタチらしく、車、犬、ブーツと、先が長いモノに惹かれる。
前が長いと、取り回しに気をつけないと「ぶつかる」ということが起きる。実際ぶつけたことはないが、慣れるまでは「ぶつけたくない」と気を遣う。
気を遣わないと使えない、というのは、利用品質的にはマイナスなのだが、ここでは、マイナスとしてカウントしなくて、面倒だがカワイイと感じて、もっぱら見るたびに気持ちいい、というプラスを得ている。
さらに「狭い道では取り回しがしにくいんだよね」と言いながら、取り回しテクを自慢して気持ちよさを感じてもいる。
「語れるコト」=車と私の、犬と私の、ブーツと私のストーリーといったら、キリがないくらい次々思いつく。
愛着がわくというのは、そのモノと私について語れるストーリー多くある、ということとパラレルな関係にあると思う。

視点
モノに愛着を持ってもらうには、
モノと私の関係を意識してもらうところを
どうしても通らないと成立しない。

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2013年10月18日

みればわかる

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みればわかる、ということがある。
何の木か知らなかったこの木の下に、実が落ちて、栗の木だとわかった。
実りを見れば、何だかわかる。

実に気づくまで関心のなかった、この木だったけど、関心を持てば気づくことが多い。

例えば・・
イガイガの実が落ちている。(興味)
イガのなかは栗だ。(知識)
イガは不用意に掴むと痛い。(経験)
栗は火を通すと食べられる。(知識)
いつも見ていたあの木は、栗だったのか。(気づき)
割れていないイガが3つある。(数量)
落ちてから短い時間しかたっていないだろう。(観察)
昨夜の強い雨風で落ちたのか?(環境)
拾ってもいいものか?(社会性)
食べてみたい(感情)
といった具合に・・

見上げると、木にはまだ青いイガがいくつも。

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視点
知らないで過ごせばそのままだが、
気づいて関心を持てば、さらに気づくことは多い。
実りはそこにあるのだと思う。

posted by ラパンアジルblog at 15:58 | TrackBack(0) | 視点 | 更新情報をチェックする